「ヒポクラテスの歌ー九州大学医学部愛唱歌集完成までの経緯ー」の中で、
九州大学医学部愛唱歌集誕生の背景及び藤井凡大氏が提案された
”歌集のテーマ”が述べられています。更に藤井凡大氏の筆による記事
「ヒポクラテスの歌」の中で歌集への思いが綴られています。
【記録(現役Ⅱ)】
○藤井凡大氏の偉大な足跡(続き) (前ページへ戻り)
◇楽譜 ➔ 以下の各項目の詳細は[楽譜]ページを参照のこと。
✔Vivat Chor Academie/Gloria Chor Akademie【非公開】
藤井凡大氏が作詞・作曲された2曲の曲で、直筆の譜面です。
藤井凡大氏によるコメントが付されています。
✔BON Bu Ba BON【非公開】
藤井凡大氏が作曲された曲で、直筆の譜面です。
✔校歌集一覧【一般公開】
藤井凡大氏が作成された「コールアカデミーレパートリー集一覧」の中の
“校歌集”に収められた高等学校校歌集一覧(藤井凡大氏編曲のものが中心)です。
✔Hymn Of Chor Akademie【非公開】
藤井凡大氏の編曲による”コールアカデミー讃歌”で、直筆の譜面です。
◇イベント ➔ 以下の各項目の詳細は[イベント]ページを参照のこと。
✔藤井凡大氏をしのぶ法事「凡大忌」/「遊花遊音」
藤井凡大氏が直接残された仕組みではありませんが、その遺徳の大きさが
しのばれます。
藤井凡大氏の命日月の7月に、お墓がある神奈川県鎌倉市鎌倉霊園では
多くのOBが集まり「凡大忌」が、福岡県粕屋郡久山町東部西日本霊園では
藤井悦子夫人、多くのOBや現役が集まり「遊花遊音」が毎年営まれて
います。ともに写真がありますのでご覧ください。限定公開です。
・凡大忌の写真(2011年7月23日、H15期の楠橋大輔氏撮影)
・遊花遊音の写真(2014年7月21日、H24期の溝部洋介氏撮影)
◇記録 ➔ 以下の各項目の詳細は[記録]ページを参照のこと。
✔藤井凡大先生と九大コールアカデミーの歩み【一般公開】
昭和43年(1968年)~平成6年(1994年)間の記録(年表)で、
九大コールアカデミーの会報「讃歌33号」の中の「藤井凡大先生と
コールアカデミーの歩み」(年表)を抜粋したものです。
✔藤井凡大先生をしのんで! 【限定公開】
藤井凡大氏追悼の讃歌特集号(1995年発行の「讃歌33号」)に
掲載された”藤井凡大氏との思い出”の記事です。
✔コールアカデミーレパートリー集 【限定公開】
藤井凡大氏が作成されたもので、
「レパートリーについては、当然ながらふくれあがる一方で、この辺で
大々的な整理を行って、少しでも完全に近いライブラリーを作らねばと
考えた」と書き残されました。
◇話題 ➔ 以下の各項目の詳細は[話題]ページを参照のこと。
35年以上も昔の藤井凡大氏の直筆封書の存在が明らかとなりました。
59期の鶴 薫氏が未開封の状態で所有しておられます。
藤井凡大氏とコール現役メンツで麻雀を行い、藤井氏が負けた金額を
置いていかれた際の封筒だそうです。
✔「藤井凡大先生練習風景」の録音出現! 【限定公開】
コールアカデミー第25回定期演奏会へ向けての練習の一コマで、
藤井凡大氏の指導の声が録音されています。
✔藤井凡大さんの直筆原稿出現!【限定公開】
コールアカデミー第16回定期演奏会のパンフレットに掲載されたと
思われる藤井凡大氏による挨拶文の直筆原稿です。
✔エール「筑紫之咏」誕生記 【限定公開】
コールアカデミーのエール「筑紫之咏」の誕生経緯を作曲者”藤井凡大氏”が
述べておられます。
✔「高等学校校歌集」の起源 【限定公開】
藤井凡大氏の提案により、
・昭和58年(1983年)から曲集めが開始された
・61期の山本秀樹氏が曲集めを担当された
・1年間で45曲の校歌が集められた
・合唱向けの編曲は藤井凡大氏が担当された
などが書かれています。
✔エール「春の讃歌」誕生記 【限定公開】
『オモテ・エール「春の讃歌」』のタイトルで、創立20周年記念
演奏会を機に「春の讃歌」を編集するに至った経緯について編曲者
”藤井凡大氏”が述べておられます。
✔博多祝い唄誕生秘話 【限定公開】
コールアカデミーの定期演奏会の締めくくりの曲「博多祝い唄」が
誕生する経緯(「博多祝い唄」が藤井凡大氏の手で編曲されるに至った
経緯)が書かれています。
✔九大医学部愛唱歌集「ヒポクラテスの歌」誕生記 【限定公開】
九州大学医学部愛唱歌集誕生の背景及び藤井凡大氏が提案された
”歌集のテーマ”が述べられています。更に藤井凡大氏の筆による記事
「ヒポクラテスの歌」の中で歌集への思いが綴られています。
✔新リーダーシャッツ完成に寄せて 【限定公開】
新リーダーシャッツの制作において、藤井凡大氏がかねがね
温めておられた案をすべて出され、新リーダーシャッツを編纂された
経緯が藤井凡大氏の筆により記されています。
✔藤井凡大氏の作詞・作曲による「九大造船の歌」
九州大学工学部造船学科のために「九大造船の歌」を
作曲するに至った経緯「トラムパーからの通信」【限定公開】が
記されています。
◇沿革 ➔ 詳細は[沿革]ページを参照のこと
✔九州大学男声合唱団コールアカデミーの歴史と活動 【一般公開】
九州大学「大学文学館ニュース 第35号」に掲載された60期の
山口英一氏の執筆による記事で、その中の”3.育ての親、藤井凡大氏”の
項目があり、藤井凡大氏とコールアカデミーの関係が述べられています。
✔長崎演奏会 【限定公開】
藤井凡大氏の提案で
・九大コールアカデミー&純心コールマリーヱのジョイントコンサート
・長崎定期演奏会
が定期開催されることに至った経緯が、藤井凡大氏の筆によるタイトル
「あこがれの長崎、恋人純心」の中で述べられています。
「ヒポクラテスの歌ー九州大学医学部愛唱歌集完成までの経緯ー」の中で、
九州大学医学部愛唱歌集誕生の背景及び藤井凡大氏が提案された
”歌集のテーマ”が述べられています。更に藤井凡大氏の筆による記事
「ヒポクラテスの歌」の中で歌集への思いが綴られています。
◇制度
藤井凡大氏により仕組みが整備されたり、制度化された内容です。
管理人が把握しているものについてのみ列記します。
✔コールアカデミー部内でのコンクール新設および制度化
-Aカップ、Bカップ、Cカップ、Dカップの新設
Aカップ:荒谷俊治杯。4年生対象の指揮コンクール
Bカップ:藤井凡大杯。1年生対象の指揮コンクール
Cカップ:Composition Cup(*1)。新学生歌作曲コンクール
Dカップ:Dichter-wald Trophäe(*2)。新学生歌作詞コンクール
*1)OB会関東支部が寄贈
*2)OB会関西支部が寄贈
-Eカップ、Fカップ、Mカップ、Sカップの整備
Eカップ(*3):パート別演芸大会
Fカップ:カルテット大会
Mカップ:麻雀大会(?)
Sカップ(*4):パート別ソフトボール大会
*3)藤井悦子夫人が寄贈
*4)藤井凡大氏が寄贈
✔各種“ヤリの会”の新設
-俳句ヤリの会
藤井凡大氏の指導のもと句会が開かれ、以後定期的に開催されています。
第1回の句会は1982年(昭和57年)2月5日に開催され、参加者は
藤井凡大氏、平野耕生氏(58期)、高木直洋氏(59期)のわずか
3人だったようです。
-囲碁ヤリの会(?)
詳細不明です。
-将棋香車(ヤリ)の会
1981年、藤井凡大氏が合宿で部員と手合わせされたことが
スタートで、59期の高木直洋氏を“将棋普及委員”に任命されました。
✔定期演奏会に関する提案
-1980年1月の第24回定期演奏会から、最終ステージで現役とOBが
合同で出演することになり、この企画は現在も続いています。
✔部誌“讃歌”の構成に関する提案
-“讃歌”の毎号にエール「春の讃歌」(藤井凡大氏の編曲による手直し版)と
「筑紫之咏」の楽譜が掲載されるようになりました。