※記号の見方
【一般公開】:インターネットで一般に公開されている情報です
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(九大コールアカデミーOB&現役のみへの公開が前提です)
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○「九大医学部 歯科口腔外科教室歌」CD誕生記 【限定公開】
「公益財団法人北原白秋生家記念財団 北原白秋生家・記念館」の館長 高田杏子氏と、
コールアカデミーOB弥永邦夫氏(H7期)からいただいた情報により
・「九大医学部 歯科口腔外科教室歌」
作詞:北原白秋/作曲:山田耕筰/編曲:藤井凡大
・「九大医学部 歯科口腔外科教室歌」CD
が存在することが明らかになり、アーカイブ編集担当として驚きました。
アーカイブにはこれまでこの教室歌とCDの存在の記録はありませんでした。
なお弥永氏は現役時代、藤井凡大氏が入院されている時に編曲された教室歌を、
歌った記憶があるそうです。
お二方からいただいた情報をもとに”「九大医学部 歯科口腔外科教室歌」CD誕生記”を
追加しました。
○「バーバーショップTAG集」とは?
コールアカデミーのOBグループのFacebookの投稿記事に出てくる
「バーバーショップTAG集」をご存知ですか?
特に音楽顧問 住田寛樹氏(2022年現在)の投稿に頻繁に出てきます。
本アーカイブの管理人の江頭(44期)は聞いたことがない言葉でしたので、
住田氏に問い合わせしたり、インターネットで調べたりしました。
その結果ですが、”バーバーショップ・タグ(Barbershop Tag)は
バーバーショップの曲の最後のハーモニーが凝縮された部分”であることが
判明しました。我々の年代では歌ったり聴いたりすることがなかった曲です。
一例を以下に示しておきます。
私がインターネットで検索している最中に見つけた”バーバーショップ・タグ”の
演奏サイトを紹介しておきます。
”BARBERSHOP TAGS”
https://www.barbershoptags.com/Home
また”バーバーショップ”について調べたい方はこちらのサイトをご参照ください。
”【音楽史】バーバーショップ音楽(Barbershop Music)とは?”
○男声合唱組曲「月光とピエロ」の成り立ち
男声合唱曲の名曲中の名曲「月光とピエロ」(作詩:堀口大學/作曲:清水 脩)の
作詩の成り立ちが分析され、インターネットで公開されていますので紹介します。
http://asoshiranui.net/pierrot/
分析者は入口紀男氏(熊本大学名誉教授&熊本大学大学院社会文化科学研究科
客員教授)です。
分析の主な要点は
・作詩内のピエロとピエレットが実在のモデルで、有名なギョーム・
アポリネールとその婚約者マリー・ローランサンであること
・1911年に発生した「モナリザ盗難事件」が深く関係していること
です。
この情報は、H9期の高木祐之氏がFacebookに投稿された記事に基づきます。
ところでコールアカデミーの定期演奏会での「月光とピエロ」の演奏は
-第7回定期演奏会のリーダーフェラインの初ステージ(福岡公演で
宮内清見氏の指揮)が初演ですが、残念ながらアーカイブでは録音が
未収集です。
-次は第19回定期演奏会のリーダーフェラインの演奏で、こちらは録音が
ありますので聞くことができます。
○九大学生歌「松原に」がクローズアップ(2018年5月現在)
“学生歌「松原に」、JR九大学研都市駅及び昭和バス車内で放送開始!”
2018年4月から九大学生歌「松原に」が
・JR九大学研都市駅のホーム及びコンコース
・九州大学とJR九大学研都市駅間を運航している昭和バス車内
で放送されています。演奏はともに九大コールアカデミーです。
詳細は九州大学の公式ホームページ内で紹介されています。
http://www.kyushu-u.ac.jp/ja/topics/view/1340
曲の詳細について補足します。
◇作者
作詞:秋山喜文(30期)
作曲:山田尚慶(31期)
作詞者「秋山喜文氏」と作曲者「山田尚慶氏」の一言が
コールアカデミーの部誌「讃歌24号」(1986年発行)に
掲載されています。「松原に」誕生の状況が述べられています。
◇楽譜
◇演奏
演奏は斉唱と合唱があります。ともに九大コールアカデミーによる
演奏です。聴き比べてみてください。
◇話題
「松原に」が九州大学公認のNo1学生歌に昇格しましたね!
“「松原に」の歴史的変遷”については以前に本ページ内の次の記事で
紹介していますのでご一読ください。
タイトル:”学生歌「松原に」をめぐる…雑感”
筆者:杉 哲男(43期)
○「九大学生歌」制定の経緯
◇九州大学学生歌制定の狙い
以下の構想のもと九州大学当局の公的活動として学生歌の公募が行われた。
「九大には校歌がなく、それに類するものもなく、入学式・卒業式の
式典やスポーツ行事の際など不便であり、学生の精神的連帯の
よすがとしても学生歌を制定し、できれば校歌にふさわしいものを
選んで校歌を選定する。」
◇学生歌の公募
✓昭和29年(1954年)と昭和32年(1957年)の2回、
公募が行われた。
✓公募結果として、
・昭和29年の公募では「松原に」「聳えて高き」の2曲
・昭和32年の公募では「春の讃歌」「見よ紺碧に」の2曲
の計4曲が九大の公式の学生歌として選定された。
✓公募の手順は、
1.歌詞を募集して2点を選定
2.選定された2点の歌詞に対して旋律を募集
の手順で行われた。
✓選定の手順は
・昭和29年の公募では
(1)学生歌委員会で歌詞を選定した。
(2)旋律の選定手順は不明である。
注:コールアカデミーのメンバーが歌唱し
旋律の選定が行われた(?)と思われる。
・昭和32年の公募では
(1)歌詞選考委員会で歌詞を選定した。
(2)審査委員長(鳥山教授(当時))宅で、コールアカデミー
メンバーによる応募の旋律の歌唱を録音した。
(3)総合審査会で、録音の歌唱を聴き入選作品を決定した。
◇後日談
”九州大学学生歌の制定”の構想では、学生歌の中で校歌に
ふさわしいものを選んで校歌に制定することになっていたが、
校歌制定の活動は行われていない。
◇コールアカデミー内での学生歌の位置付け
✓九大の公式の学生歌 4曲
「松原に」「聳えて高き」「春の讃歌」「見よ紺碧に」
✓コールアカデミー選定学生歌 11曲
・藤井凡大氏作曲 4曲
「筑紫之咏」「Vivat Chor Academie」
「Gloria Chor Akademie」「Danke!! 」
・Cカップ(*1)・Dカップ(*2)の最優秀賞曲 7曲
「生命の歌」「玄海の潮」「自治の城」「起て勝ち鬨の声あげて」
「一筋の道」「Freiheit und Frieden und Gleichheit」
「麦酒(ビール)を満たせ」
*1:毎年行われるコールアカデミーの作曲コンテスト
*2:毎年行われるコールアカデミーの作詞コンテスト
○学生歌「松原に」をめぐる…雑感 【限定公開】
先輩OBの方々は学生歌「松原に」について何を感じますか?
✓九大混声合唱団のエールである
✓コールアカデミーはコールアカデミー公式の場では「松原に」を歌わない
✓コールアカデミーは九大の公式の場では「松原に」を歌わない
と筆者は思っていました。
「松原に」が犬猿の仲だった九大混声合唱団のエールになった後は
コールアカデミーで歌われることが全くなかったのが我々の時代でした。
それがいつのまにか九大入学式の歌唱指導でコールアカデミーが「松原に」を
演奏するまでになっていたのには驚きでした。
その背景が全くわからなかったのですが、讃歌2017第54号のに投稿された
『学生歌「松原に」をめぐる…雑感』(43期-杉 哲男氏投稿)を読んで状況が
わかりました。筆者と同様の考えをお持ちの方々は是非、ご一読を!
○ウ・ボイ(U boj)
KCAメーリングリストで記事等の紹介がありました。
・62期 満岡誠治氏からは朝日新聞のWeb記事が紹介されましたが、
現在、削除されており見ることが出来ません。Web記事の元記事は
2010年9月4日(土)の朝日新聞土曜版「うたの旅人」ですので、
縮刷版で見ることができます。縮刷版は大学の図書館や公立図書館で
見ることができるようです。
・37期 安倍武明氏からは、記事や動画の紹介がありました。
*Wikipediaの記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウ・ボイ、ウ・ボイ
*関学グリーのホームページに掲載の“U Boj” Story
http://www.kg-glee.gr.jp/uboj/index.html
*You Tubeの合唱動画(2件)
・H5期 濱田和哉氏から記事『男声合唱曲「U Boj!」の謎』の紹介がありました。
「日本男声合唱史研究室」サイト内の記事です。濱田氏は「合唱団
お江戸コラリアーず」の団員の方から教えていただいたそうです。
https://male-chorus-history.amebaownd.com/posts/1332525
この記事は主に
-なぜクロアチアの歌が チェコ軍人に歌われていたのか?
(1919年に神戸に来たチェコ軍人から関学グリーが楽譜を譲り受け、
以後、関学グリーの秘蔵の愛唱歌となった経緯があるからです。)
-なぜ楽譜の版がいくつもあり、各版で歌詞が異なっているのか?
について研究・考察した内容です。
・管理人からの記事や解説、演奏音源などの紹介です。
*62期の満岡誠治氏が紹介しておられた記事 【限定公開】
*関学グリーによる曲解説 【一般公開】
*早稲田グリーによる訳詞 【一般公開】
*演奏
https://youtu.be/ZPsCKwRxzsE (関学グリー)
https://youtu.be/idpLcFPyyM0 (早稲田グリーOB)
○エール「春の讃歌」誕生記【限定公開】
コールアカデミーのエール「春の讃歌」の誕生経緯が “讃歌” 第18号と 第34号に
掲載されています。ここに取り出して表示することにしました。
投稿された内容は次の通りです。
第18号
・永世名誉指揮者 藤井凡大氏(編曲) <オモテ・エール「春の讃歌」>
・第四代指揮者 宮内清見氏(作曲) <「春の讃歌」誕生のころ>
第34号
・35期 濱田幸一郎氏(作詞) <コールアカデミーOB総会に寄せて>
○エール「筑紫之咏」誕生記【限定公開】
コールアカデミーのエール「筑紫之咏」の誕生経緯が “讃歌” 第18号に掲載されて
います。ここに抽出して表示することにしました。
・永世名誉指揮者 藤井凡大氏 <新エール「筑紫之咏」>
が投稿された内容です。
○コールアカデミーのエール変遷
ジョイント演奏会におけるエール交歓でのスタートや、定期演奏会における
エール演奏での幕開けなど、合唱団のエールがないと困ってしまいます。
・コールアカデミー設立 1953年(昭和28年)12月
・エール「春の讃歌」誕生 1958年(昭和33年)3月
「コールアカデミー設立からエール『春の讃歌』誕生まで4年以上の年月があり、
コールアカデミーはどう対応していたのだろう?」と疑問に思いましたので
調べてみました。
コールアカデミーの学外での初演奏会は「福岡四大学合同演奏会」で、
1954年(昭和29年)7月開催ですからコールアカデミーにはまだエールが
ありませんでした。四大学による幕開けのエール交歓ではコールアカデミーは
J.H.Schuntz 作曲「Freie Kunst (自由なる芸術)」を歌っています。
学生歌「松原に」が1955年(昭和30年)3月に誕生したことにより
「松原に」がエール待遇で歌われました。
1958年(昭和33年)3月には「春の讃歌」が誕生し、以後エールとして
歌い継がれていきます。1973年(昭和48年)には新エール「筑紫之咏」が
誕生してエール2曲体制となり、定期演奏会では両エールが演奏されることが
定例となりました。
まとめると次の通りです。
「Freie Kunst (自由なる芸術)」 1954年(昭和29年)に演奏
↓
学生歌「松原に」 1955年(昭和30年)から演奏
↓
エール「春の讃歌」 1958年(昭和33年)から演奏
↓
エール2曲「春の讃歌」&「筑紫之咏」 1973年(昭和48年)から演奏
○「九州大学学生歌」作者の一言(誕生記?)【限定公開】
「九州大学学生歌」として選定されている合唱曲が16曲あります。
各曲の“作詞者・作曲者の一言”が讃歌複数号にわたって掲載されていますので、
“「九州大学学生歌」作者の一言”として集めました。
・「松原に」 作詞:秋山 喜文(30期)/作曲:山田 尚慶(31期)
・「聳えて高き」
作詞:光吉克明(昭和33年・工卒)/作曲:引野信一(昭和30年・経卒)
・「見よ紺碧に(応援歌)」
作詞:甲斐尚夫(九大職員)/作曲:藤丸 修(昭和42年・経卒)
・「玄海の潮」 作詞:小沼 淳(62期)/作曲:宮崎誠二(62期)
・「自治の城」 作詞:小路利治(62期)/作曲:梅崎 光(62期)
・「起て勝ち鬨の声あげて」 作詞:宮崎誠二(62期)/作曲:木寺昌彦(63期)
・「一筋の道」 作詞:西田謙一郎(H3期)/作曲:溝口英樹(H1期)
・「Freiheit und Frieden und Gleichheit」
作詞:熊野直樹(H1期)/作曲:岩下常徳(H2期)
・「麦酒(ビール)を満たせ」 作詞:岩下常徳(H2期)/作曲:横田 諭(59期)
なお「春の讃歌」と「筑紫之咏」については本ページ内の別記事で紹介済です。
「脊振山」「生命の歌」「Vivat Chor Academie 」「Gloria Chor Akademie 」
「Danke!!」については“作者の一言”が見当たりません。
○「旧制高等学校寮歌集」誕生記【限定公開】
旧制高等学校の寮歌が男声合唱曲「旧制高等学校寮歌集」として誕生した経緯が
“讃歌” 第22号に掲載されています。ここに取り出して表示することにしました。
お二人
・常任指揮者 横田 諭 氏 <「旧制高等学校学生歌」オボエ>
・60期 安永智之氏 <寮歌編曲秘話>
が投稿された内容です。
コールアカデミー部員全員がユニゾン曲から男声合唱曲への編成作業に携わり、
歌集として完成するまでの経緯が詳しく述べられています。
("コールアカデミー編曲”に該当する歌集です。一部、藤井凡大氏編曲が含まれます。)
○「旧制福高寮歌集」誕生記【限定公開】
旧制福岡高校の寮歌が合唱曲「旧制福高寮歌集」として誕生した経緯が
“讃歌” 第26号に掲載されています。ここに取り出して表示することにしました。
お二人
・6回文丙 江木武彦氏 <蘇れ我等が寮歌>
・59期 本多康三氏 <東京青陵会「二金会」に出席して>
が投稿された内容です。
○九大医学部愛唱歌集「ヒポクラテスの歌」
※楽譜については[楽譜]ページを参照してください。
<九大医学部愛唱歌集「ヒポクラテスの歌」誕生記>【限定公開】
九州大学医学部の愛唱歌集「ヒポクラテスの歌」の誕生経緯が“讃歌”第30号に
掲載されています。ここに取り出して表示することにしました。
次の方々が投稿された内容です。
・永世名誉指揮者 藤井凡大氏 <「ヒポクラテスの歌>
・46期 江頭啓介氏 <ヒポクラテスの歌
-九大医学部愛唱歌集完成までの経過->
・H2期 福満裕二氏 <「ヒポクラテスの歌」出版に携わって>
・H4期 大塚隆生氏 <「ヒポクラテスの歌」
-音楽療法の時代に向けて->
なお藤井凡大氏の投稿は、九大医学部病院に入院された時の状況に続く形で
書かれています。
< 「ヒポクラテスの歌」演奏>【限定公開】 注:演奏音声編
※音源はCDからデジタル化したものです。
九大コールアカデミーがこの歌集を演奏し録音しています。名演です。
なお「ヒポクラテスの歌」は48曲が収めれた歌集ですが、この演奏では
CDへの録音の関係から38曲の演奏となっており以下の10曲が
除かれています。
21.新入生変奏曲 23.Rückblick 31.Es ist ein'Ros'entsprungen
33.母なるボルガを下りて 36.フィンランディア 38.アリラン
41.Lord I wan'to be a Christian 42.島原の子守唄 43.黒田節 44.草原情歌
○「高等学校校歌集」の起源【限定公開】
コールアカデミーレパートリー集の「校歌集」に入っている高等学校の校歌が
なぜそんなに多いのか不思議に思っていたのですが、その答えが讃歌第22号
(1984年発行)の中にありました。61期の山本秀樹氏(当時は学生副指揮者)が
執筆されたタイトル『「高等学校校歌集」と「新入生殺し」』の投稿の中で
述べられていますので紹介しておきます。
きっかけは長崎北高等学校の校歌で、藤井凡大先生の提案により山本秀樹氏担当で
1983年から曲集めが始まり、1年間で45曲の校歌を集められた様です。
当然、ほとんどの曲の編曲は藤井凡大先生が担当されたそうです。
現在の「校歌集」の基礎は藤井凡大先生と山本秀樹氏が築いたことになります。
それにしてもお二人の馬力には恐れ入ります。
○博多祝い唄誕生秘話【限定公開】
コールアカデミーの定期演奏会の締めの曲は昭和40年代までは
「雪の降る街を」でしたが、それ以降は「博多祝い唄」になっています。
どの様にして「博多祝い唄」の合唱曲が誕生し、コールアカデミ―の定期演奏会の
締めの曲となっていったのか、その経緯を52期の小田恭裕氏が「讃歌第33号」
(1995年発行)にタイトル<博多祝い唄誕生秘話>で投稿しておられます。
ここに抽出して表示することにしました。